1999年の奇跡、ミラクル・ニックスとマーカス・キャンビーの軌跡…。

マーカス・キャンビーと「ミラクル・ニックス」

キャリアの始まり

マーカス・キャンビーは、1996年のNBA指名でトロント・ラプターズから全体2位指名を受けてNBA入り。 コネチカット大学での活躍が評価され、即戦力のディフェンダーとして期待されていた。2シーズン目はリーグトップのブロック数を記録し、その守備力で注目を集められるようになる。

ニューヨーク・ニックス移籍

1998年、キャンビーはニューヨーク・ニックスにトレードされる。この移籍が彼のキャリアにおける転機となり、特に1998-99シーズンはキャンビーの名を一躍有名にした。レギュラーシーズンでは、キャンビーは主にベンチから出場していたが、プレーオフではその存在感を一気に高めることとなる。

ミラクル・ニックスのシーズン

予想外の活躍

1998-99シーズン、NBAはロックアウトにより50試合の短縮シーズンとなった。ニックスはレギュラーシーズンを27勝23敗で終え、東カンファレンス8位でプレーオフに進出。すっかりベテランとなっていたパトリック・ユーイングの故障もあり、この時点での期待値は低かったが、キャンビーのディフェンスとエナジーがチームに大きな影響を与えることになる。

プレイオフでの奇跡

プレイオフ1回戦、ニックスはトップシードのマイアミ・ヒートと対戦でニックスはアップセットを起こす。最終第5戦。この日も一進一退の攻防が続き、ヒートがわずかに1点をリードしたまま残り4.5秒。ニックスは最後のオフェンスで、スプリーウェルに最後のシュートを打たせる作戦を授けたが、うまくいかずにボールはヒューストンの手に渡った。右手一本でフローター気味に放たれたヒューストンのショットは、リムの前部に当たり、バックボードから跳ね返って、再びリム前部をかすめそのまま真っ直ぐ落ちていった。78-77でニックスが逆転。残り時間0.8秒では、もはやヒートに打つ手はなかった。劇的な逆転クラッチショットにより、史上2度目となる第8シードによる第1シード撃破というアップセットが実現した。

快進撃を見せるニックス

さらにカンファレンス準決勝ではアトランタ・ホークスをスイープで破り、インディアナ・ペイサーズとのカンファレンス決勝でも、キャンビーの存在感が際立った。彼のリバウンドとブロックがチームに勢いを与え、ニックスはシリーズを制し、NBAファイナルに進出する。

1999NBAファイナル

決勝ではサンアントニオ・スパーズと対戦。ティム・ダンカンやデイビッド・ロビンソンのような強力なビッグマンを擁するスパーズに対して、手負いのニックスは歯が立たず、スパーズが球団初優勝を決めた。このシーズンのキャンビーのプレーは、彼のキャリアにおけるハイライトとして語り継がれている。

その後のキャリア

ミラクル・ニックスのシーズン後も、キャンビーはリーグきってのディフェンダーとして活躍を続けた。2007年にはNBA最優秀守備選手賞を受賞し、ブロック王に4度選出。

オールディフェンシブチームにも何度も選ばれた。

まとめ

マーカス・キャンビーは、ディフェンスとリバウンド、そしてブロックでチームに貢献するビッグマンとして、NBAにその名を刻んだ。 特に1998-99シーズンの「ミラクル・ニックス」は、彼のキャリアにおける最高の瞬間であり、ファンの記憶に深く刻まれている。

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