野生児ショーン・ケンプ:本能で跳ぶスラムダンカー
オールスターのダンクコンテスト
ショーン・ケンプを語るうえで欠かせないのは、オールスターのダンクコンテストだ。彼のダンクシュートは、ほとんどが即興で行われたものであった。「スラムダンクコンテストではボールを渡されてからどんなダンクをするか考えるんだ。でも大体“こんなダンクをしようか”ぐらいで、終わってみないとどんなフィニッシュになるのか分からない。ほとんど子供の頃遊びでやってきたもので、考えなくても自然に体が動いているんだ」。彼のダンクシュートはパワフルであり、その瞬間に生まれる創造性が観客を魅了した。
初めてのダンクシュート
ケンプはバスケットボール史に残る豪快なダンクシュートで知られるプレーヤーだ。彼のダンクシュートの始まりはまさに自然なものであった。「初めてダンクシュートを決めた時、とても自然にできていたんだ。ファーストブレイクでシュートを決めようとドリブルしていて飛び上がったら、いつのまにかできたんだ」。この言葉からもわかるように、ケンプの身体はダンクシュートをするために生まれてきたかのようだった。
大学バスケを経ずにNBA入り
ケンプは、大学バスケを経験せずにNBA入りした異色のプレーヤーであった。当時としては非常に珍しいことであり、その決断が彼のキャリアに大きな影響を与えた。天性の運動能力を活かした彼のプレースタイルは、豪快なダンクシュートを筆頭にファンを魅了した。
ゲイリー・ペイトンとの連携
ケンプはシアトル・スーパーソニックスの若きスーパースターとして注目を浴び始めた。ケンプの成長とともに、スーパーソニックスはリーグの強豪チームへと変貌を遂げた。その中で特に注目されたのが、ポイントガードのゲイリー・ペイトンとの連携プレイだ。ペイトンの巧みなアシストとケンプの豪快なダンクシュートは、ファンを魅了し、相手チームにとっては脅威となった。このデュオはNBAの名物コンビとして語り継がれている。
スタッツとハイライト
ケンプのスーパーソニックス時代のスタッツは驚異的だ。彼は毎シーズン平均ダブルダブルを記録し、特に1995-1996シーズンには平均19.6得点、11.4リバウンドという数字を叩き出している。また、彼のダンクシュートやリバウンド、ブロックショットは、今でも多くのハイライト映像に残されており、ファンの記憶に強く刻まれている。彼のプレースタイルとカリスマ性はチームを牽引し、多くのファンを魅了した。
1995-1996シーズン:頂点への挑戦
そしてケンプと同様にスーパーソニックスが最も輝いたのが、1995-1996シーズンである。このシーズン、チームは64勝18敗という素晴らしい成績を収め、ウェスタンカンファレンスのトップシードを獲得した。プレイオフでは次々と強豪を撃破し、ついにNBAファイナルへと進出する。ファイナルでは、当時のマイケル・ジョーダン率いる「最強」シカゴ・ブルズに挑んだ。
ソニックスでの後悔
このシリーズでケンプは毎試合で高いパフォーマンスを見せたが、惜しくも優勝を逃した。当時『シアトル・タイムズ』の取材を受けたケンプは、ソニックスで優勝できなかったことを後悔していた。「僕らは優勝しそこなってしまった。選手として、本当にしくじってしまった」とケンプは後悔の言葉を口にした。
オールスターの常連だったが、、、
ケンプはその圧倒的なパフォーマンスにより、1993年から1998年までの6シーズン連続でNBAオールスターに選出された。特に彼のダンクシュートは、毎年のオールスターウィークエンドの見どころとなり、多くのファンを熱狂させた。また、彼のリバウンド能力やディフェンス力も評価され、リーグ内でもトップクラスのパワーフォワードとして認知されていた。しかし、その後、キャブスに移籍すると体重について批判が起き、アルコールや薬物の濫用がキャリアに影を落とした。そして彼は一度NBAを自ら去ることになる。
復帰への挑戦
ケンプは、36歳になった時に再びNBA復帰を目指し、ヒューストンでトレーニングを開始していた。10年間で増えた25キロ以上の体重を落とし、パーティや酒を控え、結婚して家庭を持ち、再びNBAのユニフォームを着る日を目指して努力を続けた。金銭のためではなく、自分のイメージを取り戻すために。
自分の存在価値
ケンプは、かつて自分が持っていた存在感についても語る。「テレビで人々がカール・マローンやチャールズ・バークレーについて語るのをよく見る。でも俺は、マローンやバークレーが、コートに出てきて俺と対戦するときに見せていた目を覚えている。あのときの彼らの目には俺に対する畏怖心があった」。ケンプの言葉からは、彼がどれだけ他のプレーヤーにとって脅威であったかがうかがえる。
可能性を完全に開花させることなく
しかし、ケンプを見る人々の目には、かつてのような畏怖は見られなかった。彼は可能性を完全に開花させることなく、才能を無駄にした選手として記憶されている。そのことがケンプには我慢ができなかった。紆余曲折を経てNBA復帰を目指していた彼は、シアトル時代、間違いなくリーグを代表するパワーフォワードだった。
まとめ
ショーン・ケンプのシアトルスーパーソニックスの時代は、NBA史における黄金期の一つである。ケンプは、その天性の運動能力と本能的なプレースタイルでNBAに多大な影響を与えた。しかし、そのキャリアには後悔も多く、彼自身もそのことを認めている。それでも彼のダンクシュート、野性味あふれるプレーは、多くのファンの記憶に残り続けるだろう。
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