単独エースになる時期がもっと早かったとしたら、得点王のタイトルはもっと多かったであろうコービー・ブライアント。

「シャック&コービー」の時代から、この疑問がある人は多いのではなかろうか。

シャックがいなくなれば、コービーはどれほどスゴイ選手なのか、どれほどのスコアラーなのか――。

レイカーズが3連覇を達成したときのレイカーズはシャックのチームだった。

単独エースになってから2年目の2005−06シーズン、1月22日のラプターズ戦で、チェンバレンの100点に次ぐ、史上第2位となる1試合100得点、その1か月前の12月20日のマーベリックス戦で第3Qまでで62点をマークし、コービー1人でマブスの得点を上回るなど、30点台は当たり前、40点以上をマークすることも珍しくなかった。

モチベーションの高さに加え、あらゆるパターンから得点できるのがコービーの素晴らしさだ。

レイカーズの先輩であるジャバーは、「81得点」の試合後に、コービーの得点能力の多彩さに言及している。

「ドライビング・レイアップ、ストップジ ャンパー、それに3ポイント。あらゆるシュートスタイルに磨きをかけている。これだけバラエティに富んだシュートを持っていれば、スランプに陥るとは考えにくい」。

そう評された試合だった。

実はこの試合で偉大な記録がひとつ、途切れている。

この年、コービーは62本連続フリースロー成功という球団記録を樹立していたのだが、よりによって81点をマークした試合でフリースローを外してしまった。

しかし、このフリースローの記録ひとつ取ってみても、この年のコービーがいかに精神的に充実しているかが、うかがい知れる。

それでもコービーの活躍が、必ずしもレイカーズの勝利につながらなかった。

この頃のレベルの高いウェスタン・カンファレンスでは勝ち越してもプレーオフ進出を逃す可能性すらあった。

敵も分かっていた。

コービー1人にシュートを打たせておき、他の選手をマークすれば勝利は転がり込むはずだ、と。

これはかつてジョーダン対策に頭を悩ませたNBAのコーチたちが導き出した「公式」だ。

それでもコービーの超人的な活躍でレイカーズはプレーオフに駒を進めることになる。

そして、プレーオフの1回戦でサンズ相手にNBAの歴史にも残る1試合に2度のブザービーターを決め、先に王手をかける。

アップセットも起こりえたが、レイカーズは一回戦で力尽きた。

次のシーズンもプレーオフには進出したが、今度は完全に力負けした。

優勝のためにはサポーティングキャストに恵まれる必要があることを痛感したコービーは、フロントにに補強を呼びかける。

そしてパウ・ガソルをほぼ強奪に近い形でレイカーズは獲得する。

優勝の為にはコービーはより、チームプレーヤーとして働くことになる。

コービーのスコアリングで勝つしかなかった時期は、少なかっただけに、稀代のスコアラーでありながら得点王は2回にとどまった。

追伸、それでも最高のスコアラーは、のちに「ブラック・マンバ」と言われるようになる。

ニックネームにふさわしく、多彩なオフェンスと、どんな状況やあらゆる体勢でも得点できる能力はクラッチタイムにおいて、他チームからは驚異でしかなかったはずだ。

中でも鋭い1ドリブルからのプルアップ・ジャンパーや、巧みなフェイントを用いたターンアラウンド・フェイダウェイ・ジャンパーは、もはやディフェンス不可能。

また試合終盤での勝負強さに加え、爆発力も兼ね備えており、まさにリーグのベストSGだった。

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