高校を卒業してNBA入りしたマグレディーは手足は長かったが、まだ細く、その一方で異様なほど自らの能力に自信を持つ青年だった。
しかしそんな自信もすぐには認めてもらえず、2年目には従兄弟であり、ルーキーのビンス・カーターの影に完全に隠れてしまう。
「俺にもできる」。
マグレディはそう思いながらチャンスを待ち続け、そして3年目を終えた2000年オフ、ついにチャンスを掴んだ。
オーランド・マジックと7年間9300万ドル(約106億9500万円)という高額契約を交わしたのだ。
そして「ようやく自分がプレーする場所を見つけた」と満面の笑顔でそう言った。
大黒柱となるはずだったグラント・ヒルの故障に悩まされ、 リーダーとしての責務を背負ったマジックでの1年目は出場77試合、全てに先発。
平均26.8点、7.5リバウンド、4.6アシストでチームをプレーオフに導き、そのシーズンのMIP賞に輝いた。
しかしそれもマグレディにとってはただのスタート地点。
翌01-02シーズンはオールNBAファーストチームに選ばれると、次のシーズンには平均32.1得点でリーグの得点王に輝いた。
マジック移籍後のマグレディは3年連続1試合平均25得点、6.5リバウンド、4.5アシスト以上をマーク。
プレーオフになるとさらに気を吐き、毎シーズン平均30得点以上を上げていた。
そしてオールスターにももちろん出場し、イースタンカンファレンスのスターターにも選ばれるようになった。
そしてアメリカ代表にも選ばれ、アテネ・オリンピック予選を戦い背中の痛みで3試合に欠場したものの7試合に先発出場した。
マジック移籍で才能は完全に開花したが、故障との付き合いが始まったのもこの頃からだった。
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