ゴールデンルーキー、レブロン・ジェームスの初ダンクがこのキングス戦での一発だった。
2003年6月26日、ニューヨークNBAドラフトでトップで指名されたのは18歳のレブロンだった。
類まれな才能に加えクリーブランドから近いアクロン出身ということもありキャブスの将来を担う存在として期待され、さらにジョーダン引退後の「23」の継承者となれるかと、凄まじいプレッシャーをルーキー時代から受けていた。
18歳のルーキーがプレッシャーと、うまく付き合えるのかどうかに疑問符をつけられていたのも懐かしい話。
さて2003年4月16日、マイケル・ジョーダンがコートを去った。
その196日後の10月29日、レブロン・ジェームスがクリーブランド・キャバリアーズのユニフォームに身を包み、NBAのコートに立つ。
新旧2人の“No’23”はついにコートで交差することはなかった。
それでもジョーダンからレブロンへ、“何か”が手渡されたのではないかと考えるのはこじつけだろうか。
安直かもしれないが、それでもこうも言えないか。まさに“運命”であると、、、。
マイケル・ジョーダンは“Air”と呼ばれた。
バスケットのみならずアメフトでもその稀有な才能を持ち合わせた少年は、いつしか“キング”と呼ばれるようになっていた。
そして“キング”ジェームスはこの日、NBAの舞台にその姿を現し、ジョーダンとは違った道程を歩み、今では“The GOAT”論争に値する十分な実績を上げたキャリアでレジェンドとなった。
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