類稀なスコアリング能力を持つ2人だが、NBAファイナルという大舞台で対戦したのは2001年の一度きりだった。

21世紀初頭のNBAを代表するスコアリング・ライバルと言えばアレン・アイバーソンとコービー・ブライアントだろう。1996年にNBA入りを果たした2人は、与えられたチーム状況は対照的ながらスコアラーとしての地位を競い合うライバル関係となっていった。
アイバーソンはジョージタウン大を2年で中退し、アーリーエントリーを宣言。当時の76ersは、チャールズ ・バークレーのトレード後、これといったスター選手もおらず、どん底状態に喘いでいた。観客の呼べるスター選手が欲しい76ersにとって、小柄ながら抜群の運動能力と得点能力を持つアイバーソンはまさしく客の呼べる選手だった。驚異的なドライブ能力、目にも止まらぬクロスオーバードリブルで次々と得点を重ねるアイバーソンは、ポジションの枠に収まらない異色なスコアラーとなっていった。
一方のコービーが名門レイカーズに入団したシーズン、チームは同時にリーグ随一の怪物センター、シャキール・オニールを獲得。チームには同じポジションのシャープシューター、エディ ・ジョーンズもいたため、ルーキーのコービーには厳しい状況だった。輝く才能の片鱗は見せたものの、高卒ルーキーのプレーイングタイムは限定的でしかなく、平均得点は僅か7.6点にとどまった。これがコビーの猛烈な闘争心に火を付けることになる。翌シーズンからコービーはボールを持った時には強引にゴールを狙いにいった。このことでチームのベテラン、特にシャックと常にトラブルを抱えることになったが、スコアラーとしての才能は開花し、リーグ有数のプレーヤーへと成長していった。アイバーソンもコービーも強引なまでの得点意欲と、時にはチームメイトの存在をまったく無視したような独善的なプレーでその才能を伸ばしていった。ア イバーソンはチームメイト、ヘッドコーチと次々と揉め事を起こした上、練習態度、私生活でも問題が多く「最もコーチしづらいプレーヤー」という悪評がたった。一方のコービーもシャックとなんとか共存するプレーを続けていたものの、2人の間では常にボールをいかにシェアするか、どちらがチームのエースかということで確執が続き、ヘッドコーチの名将フィル・ジャクソンをもってしても、コービーをコントロールすることは難しかった。
こんな2人がライバルとしてNBAファイナルを戦ったのが2001年だった。アイバーソンはプレーオフに入って神懸かり的なパフォーマンスを次々と繰り出し、76ersはファイナルに勝ち上がった。大舞台でも圧倒的不利を予想されるレイカーズ相手に、 敵地で1勝をあげるというスタートを切り、76ersの奇跡が起こるかと思われた。
しかし、効果的に得点をあげていくコービーとシャックを中心としたレイカーズの方が、完全に上手だった。レイカーズのフォース・トゥ・コーナーのディフェンスもアイバーソンを苦しめ、 アイバーソンと76ersの野望は打ち砕かれた。当時、この2人の新世代スターの対決は新しい時代のNBAライバルの誕生と21世紀の看板カードを予想させたが、この後2人には厳しい現実が訪れることとなった。
ファイナル進出したシーズン、76ersはディケンベ・ ムトンボを獲得したが、これがサラリー キャップを圧迫し、 補強が思うようにできなくなってしまった。またボールを独占して得点するスタイルのアイバーソンとフィットするプレーヤーを探すことは事実上不可能で、アイバーソンのために獲得したキース・ヴァンホーン、ラリー・ヒューズ、グレン・ロビンソン、クリス・ウェバーらも、76ersでは大きく成績を落としチームを去っていった。アイバーソン自身は4度の得点王に輝くなど、孤立無援の中で奮闘を続けたが、自身が得点をあげればあげるほどチーム成績が下降するというジレンマに陥り、76ersはプレーオフすら出られないチームとなってしまう。
一方のコービーも3連覇を達成した後、シャックとの確執が修正不可能なまでに悪化した。最終的にチームはシャックを放出し、若いコービーにチームの未来を託すことになった。
だが翌シーズン、コービーはレイカーズのエースとして孤軍奮闘すれどチームは低迷。再び王座に返り咲くまでに長年の月日を要した。
そしてその時の相手は、76ersでもなければ、アイバーソンでもなかった。

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