稀代の天才シューター、その軌跡と偉業
ルーキーイヤーから片鱗を見せたシュート力
NBAに数多くのシューターが存在する中で、彼ほど圧倒的な実績を残した者はいない。ルーキーイヤーにすでに166本の3ポイントを決め、その非凡なシュート力を見せつけた。NBAの新人としては異例の数字であり、すでにこの時点で彼のキャリアが特別なものになることは予感されていた。
この時の成功率も決して低くなく、すでにリーグ屈指のシューターとしての片鱗を見せていた。彼のシュートフォームは完璧に近く、リリースの速さや正確性は新人離れしていた。外角シュートだけでなく、ミドルレンジやフローターも器用に決めることができ、すでに攻撃の選択肢は広かった。
12-13シーズンからの快進撃
NBA入りから数シーズンを経て、彼は本格的にリーグのトップシューターへと成長していった。12-13シーズンには3ポイント成功数でリーグ1位となり、ここから5年連続でその座を守ることになる。
この間、彼は毎シーズン進化を遂げ、単に決定数が多いだけでなく、成功率も驚異的な水準をキープし続けた。多くのシューターは試投数が増えると成功率が下がるものだが、彼の場合はその法則が当てはまらなかった。ディフェンダーのプレッシャーが増しても、タフショットであっても、高確率でリングを射抜いた。
彼のシュートレンジはどんどん広がり、通常の3ポイントラインよりもはるかに遠い位置からでも正確に決めることができた。これにより、相手チームのディフェンスを大きく変えさせる存在となり、試合の流れを一変させる力を持つようになった。
15-16シーズン、前人未踏の402本
彼のキャリアの中でも特に伝説的なのが15-16シーズンだ。このシーズン、彼は前人未踏の402本の3ポイントを沈め、NBAの歴史にその名を刻んだ。
これまでの3ポイント成功数の最高記録は286本だったが、その記録を大幅に塗り替えたのだ。彼の3ポイントはもはやチームのオフェンスの核であり、どこからでもシュートを決めることができるという事実が、相手にとって大きな脅威となっていた。
このシーズンの彼は、ゲームごとのインパクトも絶大だった。圧巻のパフォーマンスを何度も披露し、1試合で10本以上の3ポイントを決める試合が何度もあった。特に、延長戦で劇的な3ポイントを決めた試合は、NBAファンの記憶に深く刻まれている。
23-24シーズン、キャリア通算3500本超え
時が経ち、彼のキャリアは終盤に差し掛かっても、そのシュート力は衰えなかった。23-24シーズンには、ついにキャリア通算3500本を超えるという偉業を達成。
これまでのNBAの歴史を振り返っても、3ポイント成功数が3000本を超えた選手はほとんどいなかった。彼はその領域をさらに突き進み、誰も到達したことのない記録を次々と打ち立てた。
加えて、彼はこのシーズン中に4試合連続で7本以上の3ポイントを決めるというNBA記録も樹立。どんな相手でも、どんな試合でもシュートを決める能力を持ち続けていることを証明した。
3ポイントシュートの革命児
彼の登場により、NBAの3ポイントの概念は大きく変わった。それまでの3ポイントは、あくまで補助的なオフェンス手段であり、多くのチームはミドルレンジやペイントエリアでの得点を重視していた。
しかし、彼のプレーによって、3ポイントを主体としたオフェンスが主流となった。多くのチームが3ポイントを積極的に活用するようになり、現代バスケットボールの形を決定づけたと言っても過言ではない。
さらに、彼は決して身体能力に頼るタイプではなかったため、歳を重ねてもパフォーマンスが落ちることがなかった。一般的に、NBA選手は30歳を超えると衰えが見え始めるが、彼の場合はむしろ安定感を増し、35歳を超えてもなおリーグのトップレベルで戦い続けている。
誰も手の届かない記録へ
歴代最多の3ポイント成功数を記録した際、彼は「誰も手の届かないところまで数字を伸ばしていけたらいいね」と語っていた。その言葉通り、彼の記録はもはや他の選手が簡単に追いつけるものではなくなっている。
現代のNBAは3ポイントが重要視される時代だが、それでも彼のような圧倒的な成功数と高い成功率を両立できる選手はなかなか現れない。そのスタイルは唯一無二であり、彼のキャリアが終わった後も、その影響はNBAの歴史に刻まれ続けるだろう。
彼は単なるシューターではなく、NBAのゲームそのものを変えた存在だった。これからも、その記録がどこまで伸びるのか、多くのファンが見守り続けることになる。
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