語り継がれるペニーとシャックの「もしも…​​」の物語、マジックの黄金時代の行方は?

ペニー・ハーダウェイとシャキール・オニール:夢のデュオとその挫折

1993年、NBA指名でアンファニー・“ペニー”・ハーダウェイはゴールデンステート・ウォリアーズに3位指名されたが、そのままウォリアーズでプレーすることはなかった。直後にオーランド・マジックがトップ指名したクリス・ウェバーとのトレードが成立し、ペニーはマジックに移籍。 オーランドは未来を見据え、その新星として、ハーダウェイはシャキール・オニールとの強力デュオを生み出し、「マジック&ジャバー」の再来とまで称された。多彩なスキルを持つペニーは、オニールとともにオーランド・マジックをNBA注目のライジングチームに引き上げた

マジックを率いる若武者

ハーダウェイのデビューシーズン、彼は早くもチームの中核を担う存在となった。オフェンスではその視界の広さと正確なパスでゲームメイクの才能を発揮し、アシスト数ではチームナンバー1に輝いた。得点力も秀でたものを持つ長身ポイントガードは複数のポジションをこなせる器用さがあり、必要に応じてシューターにも変形するその柔軟性は、新たな時代の選手像を体現していた。

ディフェンスでも相手の主力選手を抑えるなど、コート上のあらゆる場面でチームに貢献する。リーグ有数の若い才能を誇るチームの先鋒を切る存在として注目を集めた。

1995年:躍進のシーズンとNBA決勝トーナメント

ペニーが本領を発揮したのは2年目の1994-95シーズン。オールスターに選ばれるとともに、マジックはフランチャイズ史上初の60勝を記録し、イースタン・カンファレンの頂上に立った。若さによる勢いも手伝い、シーズンを通して強力なオフェンスを展開。チームは快進撃を続け、プレーオフでもその勢いは止まらなかった。

マジックはまずボストン・セルティックスを下し、続くカンファレンス・セミファイナルでは、復帰直後のマイケル・ジョーダンが率いるシカゴ・ブルズを撃破。 このシリーズはマジックがリーグのトップチームに仲間入りした瞬間であり、ジョーダンとピッペンという偉大なコンビを相手に勝利したことで、ペニーとシャックはリーグ全体にその実力を誇示した。

そして迎えたカンファレンス・ファイナル、インディアナ・ペイサーズとの7戦に及ぶ死闘を制し、マジックはNBAファイナルに進出。この年ペニーにとってキャリアの中でも最高の経験となった。

ファイナルでの敗退とシャックとの別れ

しかし、決勝ではヒューストン・ロケッツにスイープで敗退。優勝の壁は厚かった。だが、シャックとペニーのコンビは今後、何度もNBAファイナルに進出し、複数回のチャンピオンリングを獲得するだろうと誰もが期待を膨らませた。

しかし、その期待はあっけなく砕け散ることとなる。ファイナル敗退後、オニールとペニーの間に溝が生まれ始める。オニールのフリーエージェント問題、チーム内での確執、そしてペニー自身の怪我が2人の関係を複雑にした。そしてオニールが1996年にロサンゼルス・レイカーズに移籍したことで、チームの黄金時代は一気に終焉を迎えた。

ペニーとシャックが残したもの

ペニーはその後、マジックのエースとして奮闘した。だがシャックが去った後のマジックは優勝戦線から遠ざかり、ペニー自身も膝の怪我に悩まされ、かつての輝きを取り戻すことはなかった。そしてペニー自身もトレードされ、新天地でキャリアを歩くことになる。ファイナルに進んだ1995年が、結果として彼のキャリアで最も輝かしい瞬間だった。

1993年のドラフトから始まったペニー・ハーダウェイの物語は、シャキール・オニールとのデュオによって最高の潮流を迎えた。しかし、チーム内の確執からの相棒のトレード、自身の怪我、そして時代の流れがその輝きを奪っていた。

シャックとの共闘は短命に終わったが、あの時のオーランド・マジックが持っていた可能性は、今なおファンの記憶に深く刻まれている。

過去の栄光と悲しみの交錯

ペニーは後年、こう語っている。

「リーグ2年目にNBAファイナルまで勝ち進んだ1995年のプレーオフがこれまでの選手生活の中で最高の経験となった。カンファレンス・ファイナル第7戦でペイサーズを破ってファイナル進出を決めた時は、前年のプレーオフ第1ラウンドでペイサーズにスイープ負けを喫していただけに格別の喜びだった。それと同じくらい嬉しかったのがカンファレンス・セミファイナル。マイケル・ジョーダンとスコッティ・ピペンのいるブルズに勝ったんだからね。彼らが91年に初優勝してからプレーオフ・シリーズで彼らに土をつけたのは僕たちだけなんだから、これはとても光栄なことだと思っている。ファイナルでは残念ながら破れてしまったけど、まさかあれが最後のファイナルになるとはあの時は思ってもみなかった。もしシャックと僕があのままオーランドに残っていたらどうなっていたかって、、。過程の話をしても仕方がないからね」。

2人があと数年一緒にプレーしたら…。

NBAの歴史の中でも最も語られる「もしも」の一つだ。

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