怪物、シャキール・オニールのオーランド・マジック時代
デビューから衝撃のスタート
1992年、シャキール・オニール(シャック)はオーランド・マジックに全体1位で指名され、NBAに登場した。216㎝の巨体に加え、驚異的な運動能力を持った彼は、リーグに瞬く間にインパクトを与えた。
通常、新人はプロのスピードとフィジカルに適応するのに時間がかかるが、シャックにはそのプロセスは必要なかった。コート上で他を圧倒する力強さを発揮し、誰もが彼の将来に大きな期待を抱くようになった。
初の快挙:週間最優秀選手賞受賞
デビューから4試合で平均25.0得点、16.8リバウンド、3.50ブロックを記録。シャックの圧倒的なデビューは、ただの数字だけでなく、キャリア最初の週にして「週間最優秀選手」に選ばれた史上初の選手となった。次元のパフォーマンスがただのフロックではなく、本物であることを示していた。
この賞を獲得したことで、リーグ全体が彼を認めることとなり、シャックがNBAの新たな顔となる可能性を感じさせた。
オールスター先発、新人王受賞
シャックの勢いは、その後も止まることなく続いた。 これにより、彼はオールスターゲームのスターターに選ばれる。オールスター先発に新人が選ばれることは稀なことであり、シャックが如何に早い段階でリーグにインパクトを与えたかを物語っている。
彼は全ての月で平均20得点、10リバウンド以上をマークし、シーズン通してそのドミネイトぶりを維持した。そして彼はその年の新人王にも輝き、また彼のキャリアのスタート地点に過ぎないことを誰もが疑わなかった。
ビッグマウスと優勝への願望
だがシャックはこれらの個人的な栄光に満足してなかった。彼は当時から大きな目標を持っていて、メディアに対して「優勝したい。将来の息子に新人王しか取れなかったと言われたくないから」と言い放つ。新人王を獲得したことを誇りにする一方、チームの成功、特に優勝に向けての飽きくなき願望を示していた。
この発言は、シャックがただの「怪物」ではなく、リーダーシップと野心を持つ選手であることを示していた。
チームの指揮官交代劇とシャックの影響
そして“シャックのオーランド・マジック”では、彼の影響力がコート外にも及んでいるとの時代の噂もあった。
このときのマジックは若いチームであり、シャックの存在が絶対的なものとなりつつあった。指揮官交代劇が実際にシャックの意図によるものだったかは定かではないが、彼の意見がチームの決断に影響を与える可能性は否定できないことは明白だった。
シャックの成長とマジック時代の終焉
シャックのオーランド・マジックは、彼のキャリアの序章に過ぎないが、その後の時代の成功の基盤となる期間だった。
プレーオフでシカゴ、ブルズと対戦し、マイケル・ジョーダンを倒したチームでもあった。
ファイナルではヒューストン・ロケッツにスイープされたが、若いチームは経験を蓄え、何度もNBAファイナルの舞台に顔を出し、優勝も数回達成するだろうと予感させた。
だがシャックは1996年にロサンゼルス・レイカーズに移籍し、そこでNBAチャンピオンとなる。しかし、その成功のブレイクとなったのは、彼がマジックで培った経験と成長だったと言われる。
オーランド・マジックでのシャックは、若くて生意気な怪物だったが、同時にその潜在能力を余すところなく発揮し、リーグに革命をもたらしたのだ。
そして球団創設35季目のマジックは、シャックの背番号32を球団史上初の永久欠番に認定した。
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