重圧と共に歩んだ八村塁は再びNBAのコートへ、復帰後の未来は…。

八村塁、バスケへの愛と共に再びNBAへ

「バスケが恋しかった」

久々の実戦に笑顔が溢れた八村塁。「バスケが恋しかった」と語る彼は、休養期間を経て再びNBAのコートに戻ってきた。2021-22シーズンの八村の復帰には、多くのファンが期待を寄せていた。

日本の至宝、休養の理由

八村塁は「個人的な理由」として9月下旬から始まったワシントン・ウィザーズのトレーニングキャンプやプレシーズンゲームを全て欠場していた。10月中旬にはワシントンDCに戻ってきたものの、レギュラーシーズンが始まっても無言を貫き続けた。12月1日、ホームのウルブズ戦で初めてベンチに姿を現すと、練習のペースが上がり、12月下旬には復帰が目前に迫った。しかし、年末に新型コロナウイルスの安全衛生プロトコル入りで再び離脱。結果としてデビューは開幕から40試合目まで待たなければならなかった。

必要だった休養期間

八村はマジック戦後に辛抱強く質問に答えたが、個人的な理由については具体的に明かさなかった。それでも彼の過去10年間の歩みを振り返ると、ここで一度足を止める必要があったことが理解できる。

「休養が必要だったんです。子どもの頃からクレイジーな日々が続いてきました。だから休みが必要だった。それだけです」。八村の言葉から、彼がどれだけハードなスケジュールをこなしてきたかがうかがえる。

ノンストップのバスケットボール人生

「13歳からバスケットボールを始め、以降はノンストップでした。説明するのは少し難しいですが、日本にはバスケットボールのシーズンと言えるものはなく、1年中プレーします。アメリカとは違うんです。だから休むことはなかったし、カレッジ時代も夏の間は日本代表に参加していました。去年の夏もシーズン後は日本に帰り、東京五輪のため日本代表でプレーしました。厳しかったですよ。ここでようやく少し落ち着き、こうしてコートに戻れてハッピーです」。

八村の言葉から、彼がどれだけハードなスケジュールをこなしてきたかがわかる。

とてつもない実績と重圧

2016年に渡米し、ゴンザガ大学では3年連続でNCAAトーナメントに進出。その後NBAドラフトで1巡目指名の栄誉を受け、東京五輪では日本代表の旗手を務めるなど、八村は日本バスケットボール史上に燦然と輝く実績を残してきた。その過程で、とてつもない重圧を背負っていたことは容易に想像できる。だとすれば、どこかで休養を得ることは必須だったのだ。

八村塁が再びNBAのコートに戻り、これからどんな活躍を見せるのか、ファンとして期待せずにはいられない。

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