完全無欠の狙撃手、レイ・アレンのシュート術とその裏側にあるもの、、、。

正確なシュートを放つレイ・アレンの軌跡

「正確なシュートは常に電話ボックスに入っているように放つものだ」 by レイ・アレン

レイ・アレンは、この言葉の通り、常に精密なシュートを追求していた。その意識の高さが再現性を生み出し、彼の電光石火のリリースと空中でのボディバランスの卓越さを支えていた。しかし、そんなアレンでも最初から上手かったわけではない。

少年時代のアレン

「プレイはそりゃひどいものだった。でも、私たちはみんなそういったところから始めなければいけない。それに取り組み上手くなっていく。だからレイは上手くなるまでにすごく努力しなければならなかった」。

少年時代のアレンを知る人たちはこう語る。彼もまた、多くのプレーヤーと同じように努力の末に今の地位を築いたのだ。

NBAデビューからの活躍

コネチカット大学で3年間のプレーを経て、1996年のドラフトで1巡目5位にてミネソタ・ティンバーウルブズに指名されたアレン。直後にトレードでミルウォーキー・バックスに移籍し、1年目からその持ち前のシュート力を発揮していった。彼の成長は著しく、2001年にはバックスをカンファレンス決勝に導く立役者となる。

シアトル・スーパーソニックスへの移籍

2003年2月、アレンはトレードでシアトル・スーパーソニックスへ移籍。ここではエースとしてチームを牽引し、その後のキャリアを築いていった。

優勝への道:ボストン・セルティックス

優勝を求めて移籍したボストン・セルティックスでは、ポール・ピアース、ケビン・ガーネットと共に“BIG3”を形成。移籍1年目で見事にNBA優勝を果たし、その名をさらに高めた。

キャリア終盤:マイアミ・ヒートでの輝き

キャリア終盤にはマイアミ・ヒートに移籍。NBAファイナルでサンアントニオ・スパーズに追い込まれた第6戦終盤、アレンは類まれな勝負強さを発揮し、同点弾を決めた。この一打がヒートの2連覇に大きく貢献したのだ。

完全無欠の狙撃手

ステフィン・カリーに抜かれるまで3ポイントシュート成功数の記録を保持していたアレンは、コートのどこからでも相手を仕留めることができる完全無欠の狙撃手だった。苦手な角度などなく、自らクリエイトできるドリブル技術、スピード、そして軽々とダンクするジャンプ力も兼ね備えていた。若い頃はダンクコンテストにも出場するほどのアスリートだった。

多才なアレン

単なるシューターの域を超えたアレンは、アメリカ代表としても学生時代から国際舞台で活躍。1995年の福岡ユニバーシアード、2000年のシドニー・オリンピックでは金メダルを獲得した。その甘いマスクが買われ、俳優やモデルとしても活動し、1998年にはスパイク・リー監督の『ラストゲーム』で名優デンゼル・ワシントンとも共演している。

まとめ

レイ・アレンは、その精密なシュートと卓越した技術でNBAに輝かしい足跡を残したプレーヤーだ。彼の努力と意識の高さが、彼を今の地位に押し上げたことは間違いない。彼の言葉とプレーから学べることは多い。

シェアする
ポスタをフォローする

コメント