プレーオフファーストラウンド第一戦でマグレディに43点を許したピストンズのヘッドコーチ、リック・カーライルはそう言ってマジックのエースを褒め称えた。
02-03シーズンのマグレディはその賞賛にふさわしい活躍でマジックをプレーオフに導いた。
平均得点は前年度の25.6点から32.1点にアップして初の得点王を獲得。
アシスト、リバウンドもチームトップの成績を残して孤軍奮闘。
ライバルたちに比べてチーム成績は思わしくなかったためにMVP投票こそ4位に甘んじだが、その働きはこの時2年連続してMVPに選ばれたティム・ダンカンにも劣らないものだった。
第8シードで滑り込み出場したプレーオフでも“翌年”優勝をすることになるピストンズ相手に善戦。
リーグ最強のディフェンスを誇るピストンズを相手にしてもひるむことなく得点を重ねて3勝1敗と2回戦進出に先に王手をかけた。
ただ一人の力で勝ち抜けるほどプレーオフの戦いは甘くない。
この頃王朝を築いていたレイカーズには 『シャック&コービー』、90年代ブルズには 『ジョーダン&ピッペン』がいた。
2人のスターを揃えなければ優勝できないことは歴史が証明している。
ただしマジックは2000人にFAで獲得したグラント・ヒルがいる。
いや、いるはずだった。
『T-mac&ヒル』のデュオでマジックを頂点へ導けると信じていた。
しかしグランド・ヒルと一緒に背負うはずだった責任はヒルの故障によりマグレディ1人の肩にのしかかる。
その重圧に潰されることなくマグレディはチームを牽引する。
だが満身創痍で孤独の戦いを強いられても、勝てなければ批判されるのはエースの宿命。
マグレディは名実ともにベストプレーヤーの称号を得るにはプレーオフで勝ち進むことが必要不可欠なところまで成長していた。
追伸、かつてのインタビューでの質問。
「これでようやく最後の最後にシュートが打てる」。
マジック移籍時に強気のコメントをしたトレイシー・マグレディ。
コービー「最も守りづらい選手はマグレディだった」と発言する。
マグレディも「コービーが飛び抜けてタフだった」と返す。
追伸の追伸、なおマグレディが全盛期の頃、ピーク時のマイケル・ジョーダンやレブロン・ジェームスとは対戦していない。
とも記載されていた。
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