「ドリームチームⅠは一度も負けなかった。彼らと同じことをやりたいね。彼らと対戦したら、もちろん僕たちが勝つ」by シャキール・オニール

92年バルセロナ・オリンピックで学生からただ一人、ドリームチームに選ばれたのは、シャックではなくクリスチャン・レイトナーだった。

レイトナーは名門デューク大を率いて91-92年とNCAAトーナメントを連覇し、伝説の名コーチ・ジョン・ウッデンの名を冠した学生界最高の賞である『ウッデン賞』を受賞。

しかし潜在能力ではシャックの方が上であることは誰もが知っていた。

シャックはアロンゾ・モーニングとレイトナーを抑えて、ドラフト1位指名を受け、4000万ドル(当時40億円)でマジックと7年契約を結ぶ。

92-93シーズンの開幕戦で18リバウンドという衝撃のデビューを果たし、1週間で平均25.8点、16.4リバウンド、3.4ブロックと大活躍してルーキー初の開幕週MVPに選ばれた。

これでようやくプライドを満足させられたのだろう。

プレーヤー・オブ・ザ・ウィークを受賞した直後、ドリームチームの選手選考について初めて語っている。

「前のことはもう気にしちゃいないよ。ドリームチームに入れなかった時も泣きはしなかったし、もしルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれなくても生きていける。悩むには若すぎるさ。もっとシュート力とディフェンス力を向上させられれば僕は誰にも止められないプレーヤーになるだろうね」。

1試合100得点の大記録を持つウェルト・チェンバレン以来最高のビッグマンと言われたシャック。

ドリームチームⅠに選ばれなかった悔しさをぶつけ、 1994年に行われた世界選手権でドリームチームⅡを優勝に導いている。

追伸、「フリースローが苦手だからこそ俺はいつも謙虚でいられるのさ。」

シャックのこういった考え方が好きだ。

日本人は平均値であることにこだわる。

その基準は周りから見て恥ずかしくないこと。

5段階評価で1を3にしたところで、武器にはならない。

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