たった一握りの者だけがNBAのユニフォームを身につける権利を得て、さらに一握りの者たちだけが「スーパースター」の座を勝ち得る。
その「スーパースター」の座というものはバスケットボールの能力だけでは手に入れることはできない。
チームを勝利に導けるスキルを持ち、さらに故障なくプレーできたものにだけ与えられる勲章なのである。
そして残念なことに、多くの「スター」は、「スーパースター」となる前に故障に悩まされ、その道を阻まれてきた。
プレーヤーにとってケガは付き物である。
だが問題はその後である。
ペニー自身も「焦る気持ちを抑えられずに復帰を早めたことが間違いだった」と悔やんでいる。
対応をひとつ間違えると同じ故障を繰り返したり、ケガがケガを呼び、本来の姿に戻れなくなってしまう。
特にそれが未来を約束された選手ならば、なおさらその落差が顕著になる。
ペニーは「故障しても絶対に焦ってはいけない。絶対に完治してから戻るべきだとみんなに伝えたい」と、繰り返し言っていた。
「”ペニーはもう昔のようにプレーできない”って、みんなが言うだろう。それは自分が一番わかってる。でも僕はあの辛い経験があったことで選手として、もっと強く、一人前になれたと思ってる。僕はもうチームの“ベストプレーヤー”とか、“リーグのスター”とかそんなことを気にしてプレーしなくなった。『勝利』のためだけにプレーできるようになったんだ。以前よりもずっと一生懸命プレーしていると感じる」 。
これはサンズ在籍時の時の記事になるが、オーランド・マジックをシャックと共にNBAファイナルに導き、光り輝いていたペニーの姿をリアルタイムで知っている人は少し寂しい気もする。
だが、それだけ厳しい世界で戦っているという現実でもある。
追伸、全身バネのような躍動感ある動きでディフェンスを切り裂き、次々とシュートチャンスを作り出した。
201㎝とポイントガードとしては大柄で、容易にミスマッチを作り出すことができたため、ポストアップも得意としていた。
相次ぐ膝の怪我で全盛期が短かったが、97年のプレーオフでは2試合連続40点超えを含む平均31.0点を奪っている。
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