レイカーズ、ホーネッツそしてヒートの主力選手として活躍したエディー・ジョーンズ。
サイズと抜群の身体能力を持ち、さらに高いディフェンス力を誇ったジョーンズは、レイカーズのレジェンド、マイケル・クーパーの再来とも言われた。
ジョーンズが3年目となり、1996年にはシャキール・オニールが入団。
シャックの加入とともにレイカーズは、ウエスタン・カンファレンスの強豪の地位を取り戻し、ジョーンズはシャックに続くチーム2番目のスコアラーとして活躍。
リーグ4位となる2.4スティールを記録し、キャリア初のオールスターにも選出される。
そしてこの年のレイカーズは高卒のルーキー、コービー・ブライアントが入団する。
フィラデルフィアで高校時代をすごしたコービーは、同じフィラデルフィアにあるテンプル大学のジョンズとバスケットをしたこともある。
同じシューティングガードでプレーするコービーは自身のポジション脅かす存在でもあった。
しかしは若いコービーに対するメディアから批判を誰よりも擁護し、そしてその実力を誰よりも認めていたのがジョーンズだった。
ロックアウトにより50試合の短縮シーズンとなった1999年のシーズン、トレードデッドラインにレイカーズはエルデン・キャンベルとともにジョーンズをホーネッツに放出する。
交換相手はスモールフォワードのグレン・ライス。
トレードの理由はコービーとポジションが被るからというものだった。
だが、ホーネッツに移籍した翌1999-2000年のシーズン、ジョーンズにとってはキャリア最高のシーズンとなった。平均20.1得点、4.8リバウンド、4.2アシスト、そして2.7スティールでこの年のスティール王を獲得。
3シーズン連続となるオールディフェンシブ・セカンドチームにも選出された。
そしてオールNBA・サードチームにも選出された。
さらにこの年のオールスターではファン投票でイースタン・カンファレンスのスターティングメンバーの選出された。
追伸、「エディーから教わったディフェンスに関するプレイのいくつかは、今も実際に使っているしね。彼の教えはすごく参考になったし、僕をレベルアップさせてくれたんだ」。byコービー・ブライアント
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