フリースローラインからのテイクオフ、まるで空中浮遊をしているような滞空時間の長いダンクを決めてスラムダンクチャンピオンに輝いたマイケル・ジョーダン。

3年目の86-87シーズンのジョーダンはまさにスコアリングマシン。

ブルズの試合は毎回がジョーダンのワンマンショーと化した。

こうなった原因はフロントにもある。

ブルズはコーチ初経験のダグ・コリンズをHCに迎え、チーム改革に乗り出していた。

選手も次々に放出。

その結果、ロースターの中で1試合10得点以上の成績を残す選手はジョーダンだけになっていた。

40得点以上は37試合、内8試合が50点オーバー。

60得点以上も2試合を記録。

またディフェンスでもコートを支配し、100ブロック以上、200スティール以上を同時に成し遂げたリーグ初の選手にもなった。

シーズンが終わると37.1得点で初の得点王を獲得し、スティールは2位だった。

個人としては上出来のシーズンを送った。

たがジョーダンの素晴らしい活躍はブルズの弱さを際立たせてもいた。

ジョーダンが61点をあげても落とした試合があって、チーム成績は5割に届いていなかった。

シーズンが深まるにつれ、「マジックやバードとは所詮違う。ジョーダンは自己中心的でチームメイトを活かせない選手」という批判も出始めるようになり、ジョーダンを苛立たせていた。

8位でプレーオフ出場を果たしたものの、セルティックスと対戦し、結果も前年と同じ、スイープ負けでの完敗だった。

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