NBAで3年目を迎えた時、レブロン・ジェームズの進化の一端は、オフェンスで顕著だった。
1試合平均得点は31.4得点(2年目は27.2)。
3年前まで高校生だったレブロンは、ディフェンスが厳しくなるプレーオフでも1試合平均30.8得点と、30点台をキープした。
「ボールを持ったときの見える景色が変わった」と、『スポーツ・イラストレイテッド』誌のインタビューには答えている。
「アイソレーションなどでボールを持ったとき、目の前にいるディフェンダーはもう眼中にない。誰がヘルプに来るのか、それを見ている。なぜなら、目の前の選手は抜けると思うから」。
そして、「そのヘルプに来る選手の動きまで読めれば、ベースラインなどを走ってバスケットに向かうことができる」と続ける。
―コートビジョン―、、、多くの選手、それが例えばスーパースターと言われるような選手でも、その習得には数年の月日を要する。
しかし、レブロンはすでに「超一流」の領域でプレーしていた。
自身2度目のオールスターゲーム出場で29得点6リバウンドをあげて史上最年少でオールスターMVPに輝く。
繰り返すが、この時レブロンは21歳、世間一般では大学3年生である。
そしてレブロンが自他ともに認めるエースとなり、チームを13年ぶりの50勝に導いた。
新加入のヒューズが故障でシーズンの大半を欠場したことで、レブロンが孤軍奮闘の感もあったが、ドリュー・グッデンやデイモン・ジョーンズらがよくサポート。
途中、トレードでロナルド・マレーを獲得し、終盤加速。
8年ぶりのプレーオフ進出を果たした。
オールNBAファーストチームに初めて名を連ね、MVP投票ではスティーブ・ナッシュに次いで2位だった。
対ウィザーズとのプレーオフ第1戦は97対86で勝利。
レブロンはNBA3年目にして初となるプレーオフゲームでいきなり鮮烈なデビューを飾った。
レブロンは32得点、11リバウンド、11アシストをマークし、チームの勝利に貢献。
プレーオフデビューでトリプルダブルをマークしたのは1980年のマジック・ジョンソン(レイカーズ) 以来のことだった。
カンファレンス準決勝で敗れたもののピストンズ相手に先に王手をかけ、第7戦まで追い詰めた。
追伸、歴代でもトップクラスのオールラウンドプレイヤーは1on1でも抑え込むのは非常に困難だ。
屈強な体躯、抜群の身体能力、卓越したバスケットボールセンスを備えた最高のオールラウンドプレイヤー。
神様からのギフトとしか言い様のない身体から繰り出されるパワーとスピードを生かしたパワフルなドライブで相手を圧倒する。
ポストアップからの攻撃でも打点の高いフェイドアウェイジャンパーで自由自在に攻撃を仕掛ける。
キャリアを重ね、3Pも苦ではなくなった。
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