113-ジャーメイン・オニール
ジャーメイン・オニール――イーストを支配した2000年代前半のフランチャイズ・ビッグマン
ペイサーズの新たな顔として
2000年代前半、ジャーメイン・オニールはインディアナ・ペイサーズの未来を背負う存在としてフランチャイズの中心に座った。
レジー・ミラーというレジェンドがキャリア晩年に差しかかる中、チームが次に託したのは、高校卒業からNBA入りを果たし、ポートランドでくすぶっていた若きビッグマンだった。
ペイサーズ移籍後、オニールは一気に才能を開花させる。2001-02シーズンには初めて平均二桁得点と二桁リバウンドに到達し、MIP(最成長選手賞)を受賞。そこから一気に「イースタン・カンファレンスNo.1ビッグマン」へと成り上がっていく。
当時の東は「西高東低」と言われる時代で、シャックを筆頭にティム・ダンカン、ケビン・ガーネット、クリス・ウェバーといったスターPF/Cが西に集中していた。そんな中でオニールは、イースト唯一無二の支配的インサイドプレイヤーとして頭角を現した。
豊富なポスト・スキル
オニールの武器は何といってもポストでの多彩な得点力だった。
ターンアラウンド・ジャンパー、フェイドアウェイ、そして長い腕を活かしたフックショット。力任せにねじ込むだけでなく、技巧を織り交ぜながら確実に得点を積み重ねていった。特にフェイドアウェイはブロックが届かない高さから放たれ、ディフェンダーにとってはお手上げのショットだった。
2001-02シーズン以降、オニールは安定して平均20点前後を記録。加えてリバウンド、ショットブロックでも存在感を示し、攻守両面でペイサーズを支えた。試合の流れが停滞した時でも「ポストに入れれば必ず打開できる」――そんな信頼感をチームに与えていたのがジャーメイン・オニールだった。
イーストの頂点を狙うペイサーズ
2000年代前半のペイサーズは、レジー・ミラーのリーダーシップと、オニールのインサイド支配を軸に強豪へと返り咲いていく。
リック・カーライルHCのもと、チームディフェンスを徹底し、堅守速攻で勝ち星を重ねるスタイル。2003-04シーズンには61勝を挙げ、イースト首位でプレーオフに進出した。
オニールはそのシーズン、平均20.1得点、10リバウンドを超える数字をマークし、MVP投票では3位に入るほどの評価を受けた。これは当時のシャック、ダンカン、KGといった超一流のビッグマンに肩を並べた証拠でもある。もしこのシーズン、ファイナルまで駒を進めていたら、オニールのキャリアにおける評価はさらに高まっていただろう。
影を落とした「マリオンズ・アット・ザ・パレス」
だが、オニールのキャリアを語る上で避けて通れないのが、2004年の「パレスの乱」だ。
ピストンズ戦で発生した観客との大乱闘により、オニールは25試合の出場停止処分を科された。これはキャリアの勢いに大きなブレーキをかけただけでなく、ペイサーズ全体の優勝への道を断絶させる出来事だった。
処分明け後もオニールはインサイドの支配者であり続けたが、チームはかつての結束を失い、優勝争いから次第に遠ざかっていった。もしこの事件がなければ、ペイサーズは2000年代半ばに本気で優勝を狙えるチームだったという声は多い。
ジャーメイン・オニールの位置づけ
ジャーメイン・オニールは、決して「最強のビッグマン」という存在ではなかった。
シャックのような圧倒的支配力も、ダンカンのような安定感も、KGのようなオールラウンドさも持ち合わせてはいない。だが、イースタン・カンファレンスにおいて、彼以上に安定して20得点・10リバウンドを提供できるビッグマンは存在しなかった。
「東の顔」として、ミラーからバトンを受け取り、短いながらもペイサーズを頂点近くに押し上げた。彼の存在があったからこそ、当時のペイサーズはレイカーズやスパーズと互角に渡り合える可能性を秘めていたのだ。
その後のキャリアと評価
ペイサーズでの全盛期を過ぎた後、オニールはヒート、セルティックス、ウォリアーズなどを渡り歩いた。どのチームでも一定の貢献はしたが、インディアナ時代のような支配力は戻らなかった。
それでも、6度のオールスター選出、3度のオールNBAチーム入りという実績は、彼が2000年代前半のNBAにおける「確かな一角」であった証明だ。
まとめ
ジャーメイン・オニールは、2000年代前半のイースタン・カンファレンスを象徴するビッグマンだった。
ポストからの得点力、チームのフランチャイズプレイヤーとしての役割、そして「もしパレスの乱がなかったら」という永遠の仮定…。彼のキャリアは、NBAの歴史における“未完の大器”という評価を残している。
インディアナのファンにとって、彼はレジー・ミラーの次に誇るべき存在であり、今でも「黄金期を惜しくも逃したスター」として記憶されている。
オニールが放つフェイドアウェイが決まるたび、当時のファンは「このチームはまだまだ上を狙える」と信じていた、、、。
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