ピストンズのファンは地元を訪れた対戦相手の選手を常にボロクソに批判することで知られている。
しかし、2004-05シーズンのカンファレンス・ファイナル、対ヒート戦だけは違った。
5月31日、試合を終えて帰りのバスに向かう通路の途中、熱狂的なピストンズファンまでが、ドウェイン・ウェイドをまるでロックスターのように取り囲んだのだ。
サインや写真を求めて群がる多くの人々を見て、シャキール・オニールはこう言った。
「俺が引退するより前に、アイツはフルネームで呼ばれる必要のない存在になるだろう。例えばマイケル、マジック、バード、そしてシャックのように」。
シャックのそんな“予言”に異論を唱える者は、もうそれほど多くなかった。
他ならぬシャック自身がほとんど抜け殻のようだったこの時のプレーオフ。
ヒートを東の頂上決戦まで運んだのは、 紛れもなくウェイドの縦横無尽の活躍だった。
ネッツ、 ウィザーズを相手に自在に得点し、破竹の8連勝の立役者となった。
シーズン中よりさらに磨きのかかったドライブと、正確なジャンプシュートは全く止めようがなかった。
そして、キャリア初の試練と言われたカンファレンス・ ファイナルのピストンズ戦。
その第2戦で、ウェイドに対する全米からの賞賛はピークに達した。
爆発的な40得点でチームを勝利に導き、16点に封じ込められた初戦の借りを返すとともに、前年王者のプライドを粉砕したのだ。
第5戦、ヒートがファイナルに王手を掛けた試合で、 若き牽引車は右あばら部分の筋肉を痛めてしまう。
続く第6戦は欠場、そして最終第7戦こそ強行出場したものの、 ヒートは勝利をつかむことができなかった。
一時はジョーダンとまで比較されたウェイドの快進撃も、ややあっけない形で終わりを告げた。
ケガは確かに不運だったが、確かな実力と、見るものを引き付けるプレースタイルで、全米に広がる人気は紛れもなく本物だった。
少なくともルーキーイヤーからこのピストンズ戦までの2年間、万全の状態のウェイドを止められたチームはない。
そしてそれはキャリアを通じて体調さえ保てれば、アンストッパブルな存在だった。
追伸、「 もっと大きくなって、必ずこの場所に戻って来る」
この時の敗戦直後、ウェイドは決意に満ちた表情でそう語った。
そしてその借りを返す日はそう遠くはなかった。
翌年、チームを球団初の優勝に導き、「フラッシュ」が爆誕した。
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