79-USAリディームチーム
アテネの悪夢から始まった名誉回復の旅
2004年アテネ五輪。アメリカ代表は金メダル候補の大本命だったにもかかわらず、まさかの銅メダルという屈辱を味わった。
これまで国際大会でほぼ無敵を誇ってきた「バスケ大国アメリカ」にとって、この結果は衝撃だった。NBAのスター選手たちが集まっても勝てない――その事実は、世界のバスケ勢力図が変わりつつあることを象徴していた。
さらに2006年、日本で行われた世界選手権(現FIBAワールドカップ)でも、アメリカは準決勝でギリシャに敗れ、3位止まり。連続で優勝を逃したことで、国内外から「もはやNBA選手だけ集めても勝てない」という批判が噴出した。
ここで危機感を持ったのが、ジェリー・コランジェロ(当時アメリカバスケ協会会長)だった。
彼は短期的な寄せ集めではなく、長期的な代表強化計画を打ち立て、選手たちに3年計画でのコミットメントを要求。いわば「代表専用チーム」を作り上げる方向へ舵を切ったわけだ。
コービーとキッドの参戦 ― 精神的支柱の存在
アテネで不参加だったコービー・ブライアントとジェイソン・キッド。この2人の加入が、リディームチームの大きな転換点だった。
- コービー・ブライアント
コービーは2008年当時、すでにリーグ屈指の勝負師であり、絶対的エースとしての地位を確立していた。彼は「誰よりもハードに練習し、誰よりも勝利を渇望する」男だった。その姿勢は若手や他のスターにも強烈な影響を与え、代表チーム全体に緊張感と規律をもたらした。
コービーは練習開始の数時間前から体育館に入り、汗だくになるまでシューティングを行っていたというエピソードが残っている。これがチームの“基準”を一気に引き上げた。 - ジェイソン・キッド
キッドはスコアリング面では派手さはないが、ゲームコントロールとリーダーシップに関しては群を抜いていた。若手の多いチームの中で、キッドは司令塔としての役割だけでなく、精神的な安定剤としても機能。実際、キッドが出場した国際試合でアメリカは一度も負けなかった。
若手からベテランまで ― バランスの取れたロスター
リディームチームの特徴は、単なるスターの寄せ集めではなく、役割分担が明確だったことだ。
主力スター
- レブロン・ジェームズ
フィジカルとスピードを兼ね備えた万能フォワード。得点だけでなく、リバウンドやパスでもチームを支えた。 - ドウェイン・ウェイド
大会MVP級の活躍を見せた得点マシン。スラッシャーとして相手守備を切り裂き、ベンチから流れを変える役割も担った。 - カーメロ・アンソニー
ミドルレンジと3Pの精度で相手を翻弄。国際大会におけるスペーシングの要だった。
バランスを取るベテラン
- コービー・ブライアント
- ジェイソン・キッド
- ティショーン・プリンス
インサイド陣
- ドワイト・ハワード
当時リーグ最強のセンター。リバウンドとリムプロテクトで絶対的存在感を発揮。 - クリス・ボッシュ
ストレッチ気味のPFとしてスペースを広げ、インサイド外からも脅威に。
このように、攻撃のオプションが多彩で、守備でも複数の形に対応できるロスター構成だった。
「一体感」が生まれた理由
これまでのドリームチームやアメリカ代表との最大の違いは、“一体感”の強さだった。
その背景には、コランジェロの改革と、マイク・シャシェフスキー(通称コーチK)の指導スタイルがあった。
- 長期合宿と事前準備
単発で集まるのではなく、3年間にわたり同じメンバーが集まり、国際ルールやFIBA審判の基準に慣れるための強化試合を重ねた。 - 明確な役割分担
「全員がエース」ではなく、「チームに必要な役割を果たす」ことが徹底された。
コービーはディフェンスリーダーとして相手エースを封じ、ウェイドは攻撃の火付け役、レブロンは万能型のオールラウンダーとして動いた。 - 尊敬と自己犠牲
コービーやキッドのようなベテランが、得点よりも守備やアシストに専念する姿勢を見せたことで、若手も自然と役割を受け入れた。
8試合すべて2桁点差勝利 ― 圧倒的な内容
2008年北京五輪、リディームチームは予選ラウンドから決勝まで8試合全勝。しかもすべて2桁点差で勝利するという圧倒的な内容だった。
- 予選ラウンド
中国、アンゴラ、ギリシャ、スペイン、ドイツと次々撃破。ギリシャ戦では2006年のリベンジを果たし、スペインにも大勝。 - 決勝トーナメント
準々決勝でオーストラリアを破り、準決勝ではアルゼンチンを撃破。 - 決勝
再びスペインと対戦。序盤からリードを奪ったが、スペインも粘りを見せ、一時は点差を縮められる。しかし終盤、コービーのビッグショットとウェイドの連続得点で突き放し、118-107で勝利。名誉回復を果たした瞬間だった。
戦術面の進化 ― NBAスタイルとFIBAルールの融合
アテネや2006年との違いは、戦術面でも明確だった。
NBA的な1on1主体の攻撃に加え、FIBAのルールに対応したボールムーブメントと3P活用が進化していた。
- 速攻とトランジション
リバウンドからの速攻は破壊力抜群。レブロン、ウェイド、コービーが走れば止められるチームはなかった。 - 3Pの重要性
メロやレッドらが外からのシュートでスペースを広げ、インサイドを活性化。 - スイッチディフェンス
複数ポジションを守れる選手が多く、相手のピック&ロールに柔軟に対応できた。
名誉回復とその先へ
リディームチームの金メダルは、単なる優勝以上の意味を持っていた。
それは「アメリカが世界のトップに返り咲いた」という宣言であり、同時に世界のバスケが確実に進化していることの証明でもあった。
この経験を経て、アメリカ代表は「毎回ベストメンバーを集めれば勝てる」という慢心を捨て、長期的な代表強化を続けることになる。
リディームチームは、その象徴であり、歴史的な転換点でもあった。
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