NBAポスターコラム59:HIVを超えて帰ってきた男。マジック・ジョンソンが再びユニフォームを着た理由とは、、、。

NBAポスターコラム

59-ドリームチーム1992

ドリームチームという伝説の始まり

バスケットボールが“世界で最も競技人口の多いスポーツ”へと進化した背景には、間違いなく1992年の「初代ドリームチーム」の存在がある。バルセロナ五輪に出場したこのチームは、世界中のファン、選手、そしてバスケ文化そのものを一変させた。

FIBAがNBA選手の五輪参加を正式に認めたことで、アメリカは史上初となるNBAスーパースター軍団を送り込んだ。マイケル・ジョーダン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、チャールズ・バークレー、カール・マローン、パトリック・ユーイング…。全員が殿堂入りレベルの超一流。今でこそ“NBAスターの五輪出場”は当たり前になったが、このとき初めて「NBA選手が国家の威信を背負って世界大会に出る」という歴史が始まった。

平均44点差の衝撃

ドリームチームはただ勝っただけじゃない。全8試合すべてで30点差以上をつけ、平均44得点差という圧倒的な強さで金メダルを獲得した。相手の国がどれだけ頑張ろうが、ゲームが始まればまるでプロ対アマ。いや、それ以上だった。

他国のスター選手たちは、ドリームチームと戦うことでむしろ喜びを感じていた。「彼らと同じコートに立てた」というだけで、1つのキャリアの達成であり名誉でもあった。それだけ異次元の存在だったわけだ。

その中でも、マジック・ジョンソンという男にフォーカスしたい。

ショータイムの象徴、マジック・ジョンソン

マジック・ジョンソン。本名はアーヴィン・ジョンソンJr.。しかしそのプレースタイルがあまりにも魅惑的で、まるでマジック(魔法)を見ているようだったことから、“マジック”の名が定着した。

身長206cmの大型ポイントガードというだけでも当時は異例中の異例。だが彼の真の武器はサイズではなく、“視野”と“創造力”だった。敵も味方も想像できない角度、タイミング、スピードでパスを出すマジックは、ショータイム・レイカーズのエンジンそのもの。

針の穴を通すようなビハインド・ザ・バックパス、ノールックで味方の動きを誘導するようなフェイク、フットボールのクォーターバックのようなタッチダウンパス。彼のパスは芸術であり、試合を“見世物”から“体験”へと変えた。

キャリア平均アシスト歴代トップ

マジックのアシスト力は、数字にも如実に表れている。引退時点でのキャリア平均アシストは11.2。これは現在でもNBA歴代トップの記録だ。1試合平均でダブルスコア以上のパスを通し、試合全体をコントロールしていたことを意味する。

特筆すべきは、1986-87シーズンには年間アシスト王に輝きながらも、得点も23.9点を記録していること。つまり、“パサー”であると同時に“スコアラー”としても超一流だった。実際、キャリアで20点超えの平均得点シーズンは4回を数える。

ルーキーでファイナルMVP

彼の“伝説”のスタートは1980年。ルーキーイヤー、いきなりNBAファイナルに出場し、負傷欠場したカリーム・アブドゥル=ジャバーの代役としてセンターでスタメン出場。ガードのはずのマジックが、センターのポジションで42得点、15リバウンド、7アシストを叩き出し、シリーズMVPを獲得。新人でファイナルMVPという前代未聞の快挙だった。

ポジションを問わない“万能性”、勝負所で輝く“勝者の資質”、そして何より観る者を魅了する“マジック”。彼の存在は、NBAのイメージを根本から変えた。

ライバル・バードと共に作ったNBAの黄金期

マジックと並んでこの時代を語るうえで欠かせないのが、ボストン・セルティックスのラリー・バード。2人は大学時代からのライバルであり、プロ入り後もレイカーズvsセルティックスという“黄金カード”を牽引した。

マジックの華やかさ、バードの緻密さ。対照的なスタイルでNBAを彩った2人の存在によって、80年代のNBAは劇的に人気を回復。低迷していたテレビ視聴率は回復し、アメリカ国内だけでなく、世界的なプロスポーツとしての地位を固めていく。

ドリームチームでの“カムバック”

1991年、マジックはHIVウイルスへの感染を告白し、現役引退を表明。当時はHIV=死というイメージが強く、彼の引退は世界中に衝撃を与えた。

だが翌1992年、彼は再びユニフォームを着る。それが、ドリームチームでの“復帰”だった。感染者であるにもかかわらず、NBAの枠を超え、国家代表として再び世界の舞台に立つ。この行動は、HIVに対する誤解を解く大きな第一歩になった。

マジックは、病気を抱えながらもコートで戦えることを証明し、バスケ界にとどまらず、社会全体に勇気を与えた。

トリプルダブルという概念の象徴

実は、現在では一般的となった「トリプルダブル」というスタッツは、マジックのようなオールラウンドプレイヤーの活躍を正確に記録するために定着したと言われている。

得点・リバウンド・アシストの3部門で“10”以上を記録する。これを達成できる選手は限られるが、マジックは試合ごとにこれを当たり前のように記録した。彼がいかに全方位的な影響を与える存在だったか、スタッツからも浮き彫りになる。

世界に“バスケットボールの魅力”を伝えた男

マジック・ジョンソンは、ただのスーパースターじゃない。彼は“エンターテイナー”であり、“パイオニア”であり、“象徴”だった。ドリームチームという歴史的集団の中でも、その存在感は群を抜いていた。

今でこそ、ヨーロッパやアジアでもバスケはメジャースポーツとして扱われている。だがその土壌をつくったのは、間違いなくこの1992年ドリームチームと、その中心にいたマジックの“魔法”だった。

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