華麗で流麗な世界一美しいバスケットを体現してきた根幹の3人、そしてもちろんポポビッチHCも忘れてはならない。

優勝の為のパワーハウス誕生の一つの例として、ドラフト指名した複数の選手が順調に成長し、チームの屋台骨を背負っていくパターン。

その代表例が長年リーグの強豪として君臨したスパーズだ。

1997年のドラフト全体1位指名でティム・ダンカン、99年の2巡目57位のエマニュエル・ジノビリ、01年の1巡目28位でトニー・パーカーを指名したスパーズは国際色豊かなビッグ3となり、03、05、07、14にリーグを制覇する原動力となった。

ちなみにダンカンはデビッド・ロビンソンと共に99年にも優勝している。

チームの大黒柱、ティム・ダンカンの手堅いローポストプレーに加え、ミドルレンジの1対1ではシュートが外れることを祈るしかない。

さらには、視野の広さでアウトサイドへのアウトレットパスだけでなく、インサイドでのオープンも見逃さずにパスを出していることは、ネステロビッチやナジィ・モハメドなど、ダンカンと共闘したことのあるセンター陣が、2ケタ得点を記録してる試合が証明している。

ダンカンはチームリーダーとしての統率力を見せ、 ベンチでも積極的に声を出しており、緊迫したときのハドルは確実にチームをまとめ上げていた。

そのダンカンととも王朝を築いた司令塔のトニー・パーカーとエマニュエル・ジノビリの飛躍も見逃せない。

ダンカンに匹敵するパーカーの得点力はもちろんだが、PGとしては高いFG成功率には文句のつけようがない。

キャリアを重ね、スピードをコントロールできるようになったことでプレースタイルを確立。

カットインする場合と、ハーフコート・オフェンスをしなければいけない状況判断ができたことで、プレーにも余裕が生まれた。

ジノビリは裏をかくカットインやパス、ムダ打ちをしないシュートセレクション、欧州やオリンピックで頂点に立ったように勝負どころの嗅覚を持ち合わせてた。

先発でも控えでも安定した活躍を見せており、主力メンバーとしてスパーズ王朝には欠かせない存在だった。

そしてカワイ・レナードが飛躍のきっかけとなる2014年のチームは「バスケット史上最も完成されたチーム」と評価された。

追伸、「スパーズはNBAチャンピオン。世界一はレアルマドリードのはずだ。
アメリカ人は、自意識過剰の傾向がある。」と何かの記事で読んだ。

ポポビッチ節というのを含めても、なかなか言えない。

彼のように、謙虚になりたい。

シェアする
ポスタをフォローする

コメント